2020年12月19日土曜日

土蔵と駐車場

                     
 台風19号の水害から1年の歩みを記録した平・下平窪地区の記録誌『てこてこ』(一般社団法人Teco発行)を、ときどき読み返す。

 国道399号沿いにコンテナハウスの「てこてこ」がある。水害直後、下平窪公民館の一角に「下平窪支援ベース」が設けられた。支援物資の配布場所としてだけでなく、住民同士が集うコミュニティサロンへと役割が広がった。同公民館の改修に伴い、地元の好意で同国道沿いにコンテナハウスを設置したという。

 それを紹介する記事のなかにある。コンテナハウスから「ひとつ裏道に入れば空き家や更地が目立ちます。解体中の家屋も多く、この地区だけで約600戸が取り壊されることが決まっているそうです」。

600戸! 住んでいる人が1人ないし2人だとしても、600~1200人が地区から離れることになる。わが行政区の戸数を基準にすると、二つの区内会が消えるくらいの衝撃的な数字だ。

 先の日曜日(12月13日)、下平窪に住むカミサンの友人宅(ここも床上浸水に見舞われた)に歳暮のもちを届けた。国道からひとつ中に入った住宅地の一角にある。

1年ぶりに訪ねたら、隣が広い駐車場になっていた=写真。1軒や2軒の広さではない。グーグルアースで確かめると、戸建て平屋の貸家らしい建物が6軒あった。平屋では……。言葉もなかった。住宅街を抜けて国道に戻るまでにもう1カ所、広い更地ができていた。そこも平屋だったか。

この日の時間を巻き戻すと――。日曜日夕方、カミサンの実家へつきたてのもちを取りに行った。当主の義弟が母屋の奥にある土蔵の改修が終わったことを告げた。この土蔵は東日本大震災で正面のなまこ壁が一部はがれ落ちた。

9年半がたって改修のために選んだ業者が、たまたまわが家の震災改修を手がけた旧知の大工氏だった。浜に自宅と作業場がある。本人はかろうじて津波から逃れたが、地区全体ではかなりの犠牲者が出た。自宅も「全壊」の判定を受けた。仕事はていねい。しかし、ていねいすぎて予算をオーバーすることがある。その通りになったようだ。

さらに午前中は、小名浜・古湊に住むいわき地域学會の先輩の家に、要らなくなった蒸籠(せいろ)を取りに行った。

震災から1カ月半後に見舞いに行って以来だ。あのとき、家の裏の水路から津波が逆流し、1階の畳の上40センチまで海水につかったという。先輩にとっては、本は財産、いや心の糧そのもの。全集のような重い本は1階に置いておいた。それが大震災でバタバタ倒れたところに津波が押し寄せた。書庫の本も駄目になった。

外回りも庭の書庫も改修した。浸水の高さがわかるように、庭に立つ柱が途中から色違いになっていた。

地震、津波、台風の爪痕は、表通りからは見えなくなったようだが、ひとつ中に入るとかたちを変えて残っている。

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