壊れたこたつを座卓代わりに使っている。寒くなると足に毛布をかけ、ヒーターから筒で暖気を取り込む。ワンポイントだけだが強烈に熱くて、ほかは寒い。「電気マットを敷いて、こたつカバーをしよう」。カミサンにいわれるたびに、「あとで」「あとで」と先送りしてきた。
クリスマスイブの夜、大学生の“孫”の両親がケーキと焼酎を持参した。夏バージョンの座卓では格好がつかない。2日間かけて座いすの周りの資料や本を移し=写真上1、要らないものを処分したあと、電気マットを敷き、こたつカバーをかけて冬バージョンに切り替えた。
座卓の上と座いすの左右に小物類や書類・資料コピーなどを置いている。コピー類は、カミサンが新しく用意した本箱に積み上げた。座卓の上の小物類も小さな箱に入れ替えられた。
それで、頭の中にあったモノと場所の記憶がいったん“ご破算”になった。この資料はここ、あの資料はそこ――。もう一度、身の回りのモノと場所の記憶を再構築しないといけない。これはしかし、年2回、夏から冬、冬から夏へと茶の間の“衣替え”をするときには付いて回ることだ。それでやっと冬は足元が暖かく、夏は涼しくなる。
ついでに、古くなった電灯を取り換えた=写真上2。近所に双葉郡大熊町から会津若松経由でいわきに原発避難をしたお年寄りがいた。家を行ったり来たりする間柄になった。去年(2019年)秋、同町の大川原(おおがわら)地区に完成した町営の復興住宅に引っ越した。そのとき、「いらない」というので、カミサンが電灯を引き取った。それに替えたら、部屋が急に明るくなった。
天井のクモの巣も払い、神棚や梁(はり)のほこりも取った。結果的に年末の大掃除になった。
なんといってもコロナに振り回された1年だった。大学生はオンライン授業が当たり前になり、就職活動も制限される。それよりなにより、年末の帰省をあきらめ、東京にとどまっている。
コロナ不況で失業した人、あるいは学業をあきらめなくてはならなくなった学生……。メディアが伝えるニュースを見聞きするたびに、就職もせず、勉学に励むでもなかった、21、2歳のときの寄る辺ない気持ちがよみがえる。底なしの孤独感に押しつぶされそうになった人間を支えてくれたのは朋友だった。そういう存在がいるといいが、と思う。
それから半世紀――。年金生活者の日常は、基本的には「巣ごもり」だ。3密を避ける「ステイホーム」をといわれても、普通に暮らしていればいいことだから苦にならない。しかし、若い人の気持ちになれば、世の中いったいどうなっていくのか、とも思う。そんな1年が終わろうとするクリスマスイブの夜、こたつを囲んで近況を報告し合いながら飲む田苑の味は格別だった。
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