2021年7月15日木曜日

磐前県誕生150年

                      
 いわきの「明治前期、地域における建言や新聞投書」をテーマにした、中央公民館の市民講座を受講している。全5回で、コロナ禍のため1カ月遅れで開講、7月12日に2回目が開かれた。講師はいわき地域学會の会員でもある本田善人さん。いわき地域の新聞史を調べているので、教えられることが多い

 私の頭の中では歴史の教科書レベルにとどまっていた「廃藩置県」、これがいわき地域でどう展開されたのか、がよくわかった。『いわき市史 近代』で概略を知ることはできる。それを、今度の講座でしっかりおさらいした。

明治4(1871)年7月に廃藩置県の詔書が発令されると、短期間に磐城平県→平県→磐前(いわさき)県と変わる。磐前県の範囲は現在の浜通りと田村郡、石川郡、白川郡(現在の東白川郡)で、平に県庁が置かれた。

本田さんは、今年(2021年)は「磐前県誕生150年」の節目の年だという。なるほど、今あるいわき市は150年前、「県」を頂点とする地方行政組織の改編(中央集権体制の構築)、社会・文化全般にわたる近代化(旧弊打破などの)政策から発している、といえなくもない。

先日、本田さんから論考「磐前県の大区小区制と地方民会覚書」の抜き刷りをいただいた。いわき地域学會会報「潮流」第37報(平成21年)に収められた、本田さんの「いわき・図書館のはじまり考――明治6年磐前新聞展観社の設置について」と併せて読んでいる=写真。

 前者の論考の最後にこうあった。「福島の地方民会の先駆としては、河野広中が開いたとされる明治6年(1873)10月の田村郡常葉と明治7年9月以降の石川郡石川の民会が有名である」

常葉はわがふるさと。『常葉町史』で河野広中が常葉の戸長を務め、全国に先駆けて民会を開いたことは承知していた。それが、磐前県内の出来事だったとは……。当時、田村郡の人間は「支庁」所在地・三春のほかに、山を越えた浜通り南部の平を「県庁」所在地とみなしていた、ということになるわけだが、それはそれで新鮮な驚きだった。

先日、いわき地域学會の夏井芳徳副代表幹事から『磐城平藩の話』(纂修堂、2021年)の恵贈にあずかった。中に、明治6(1873)年1月、磐前県が「ぢゃんがら念仏踊り」の禁止令を出したことが紹介されている(ここでは著者にならって「ぢゃんがら」と表記する)。

 磐前県は、ぢゃんがらを「文明の今日、有間敷(あるまじき)弊習」と見ていた。禁止令によって踊りの火はいったん消えるが、庶民に受け継がれてきた伝統芸能が根絶やしになることはなかった。「心の底から、『ぢゃんがら念仏踊り』を愛するいわきの先人たちが、この大きな試練を乗り越え、『ぢゃんがら念仏踊り』を見事、復活させたのです」

 常葉の民会、ぢゃんがら禁止令……。歴史の断片が「磐前県」をキーワードにしてつながった。

磐前県誕生150年を機に、今まで見過ごしてきた「磐前県」の視点からいわきを、田村市(郡)、石川郡、東白川郡、浜通りを読み解いたらどうなるか。近世から近代へと激変する草の根のゆらぎ、開化と保守、服従と抵抗といったようなものが見えてくるかもしれない。

0 件のコメント: