日曜日夜の食卓――。カツオの刺し身、ヒラメの粗汁=写真上。月曜日は余ったカツ刺しのひたし揚げと味噌かんぷら=写真下。そして、火曜日。知り合いからカツオの揚げびたしが届く。
味噌かんぷらはこの時期、1~2回は食べる。夏井川渓谷の隠居の庭で何回かジャガイモを栽培した。掘り残したイモが毎年、芽を出す。葉を残しておくと、6~7月に小イモがとれる。それを掘り起こして味噌かんぷらにする。今年(2021年)は知人から新ジャガと小イモをもらった。その小イモが味噌かんぷらになった。
わが家のカツオのひたし揚げは、余ったカツ刺しをにんにく醤油に浸けておいて、食べる直前に油で揚げたものだ。揚げびたしはその逆だろう。カツオの切り身を揚げて、ショウガとタマネギその他を加えたたれにひたしたものだ。一切れがとにかく大きい。
冷蔵庫で冷やしておく。それをほぐして食べる。いやあ、冷たくてうまい。生臭いと敬遠してしまうが、それがない。だから、うまい。うまいというほかない。
もう一つ。小白井きゅうりが実をつけ始めた。皮をむいて、きゅうりもみにした。三度目から酢を加えないようにしてもらう。味が薄いときには醤油で調える。子どものころ、水分補給を兼ねてこのきゅうりもみをよく食べた。酢より醤油を好むのは、味蕾がそれを記憶しているからだろう。
さて、ここまで列記した食べ物でカネがかかったのはカツオの刺し身だけだ。小白井きゅうりは苗をもらって栽培している。あとはすべてお福分け。
拙ブログで何度も書いていることだが、高度経済成長期の前は、「お福分け」は当たり前の習慣だった。
去年(2020年)7月から、小売店でも「レジ袋」が有料になった。スーパーにもコンビニにも買い物袋を持って行く。しかし、これも別に「新しい生活様式」ではない。お福分けが当たり前のころ、豆腐は鍋を持って、計り売りの酒は空き瓶を持って、買いに行った。もう使い捨ての時代ではない。
これも前に書いたことだ。庭があれば家庭菜園を、庭のない人でも軒下やベランダでバケツに土を入れてキュウリを、ナスを栽培してみる。「消費」一辺倒から「生産」することを体験してみる。余れば友達に「お福分け」をする。
「贈与の経済」というものがある。「見返りを求めずに他者にモノやサービスを与える経済」のことだそうだ。資本主義の世にあっても、地域社会、なかでも隣近所や友人などの間では贈与の文化が根づいている。
低成長が続き、コロナ禍が重なった今、「分かち合い」(若い人の間で使われている言葉でいえば「シェア」?)にこそ一筋の光を見いだしたい思いがする。
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