2021年7月20日火曜日

中原淳一展へ

 いわき市立草野心平記念文学館で7月17日、「中原淳一展――美しく装うことの大切さ」が開幕した=写真(ヒマワリ畑をバックにした同文学館敷地内の看板)。9月12日まで。

 中原淳一(1913~83年)は「日本のファッション、イラストレーション、ヘアメイク、ドールアート、インテリアなどの分野で時代をリード」した(中原淳一ホームページ)、マルチな人間だった。

カミサンが少女時代、中原が編集した雑誌「ジュニアそれいゆ」を愛読していたとかで、開幕2日目の日曜日、アッシー君を務め、朝9時の開館と同時に企画展を見た。

 事前にカミサンが所有する雑誌や企画展のチラシを見て、目の大きな、あの独特の女性の顔は、浅丘ルリ子がモデルではないかと思っていたが、現実は逆だった。

 同文学館ロビーで売られている中原関連グッズから、カミサンが「別冊太陽」(2018年)ほかを買った。「別冊太陽」はまるごと1冊、「中原淳一のジュニアそれいゆ」を特集している。それを読めということなのだろう。家に帰ってから「別冊太陽」を渡された。女優浅丘ルリ子が誕生する経緯がよくわかった。

 昭和30(1955)年、読売新聞に北条誠・作、中原淳一・画のジュニア小説「緑はるかに」が連載される。主人公はショートカットの「ルリ子」。この小説が日活で映画化されることになり、ルリ子役を公募した。

水の江瀧子がプロデユースした日活作品で、2000人の中から中学2年生の浅井信子という少女が選ばれた。長いおさげ髪を切ってショートカットにすると、「中原淳一の画にそっくり、画が動いているみたい」と評判になった。

 ここはカミサンの解説に従うのが一番。原画に似た少女・浅井信子が浅丘ルリ子という芸名でデビューした。つまり、原画から浅丘ルリ子が誕生し、浅丘ルリ子と原画との間で相乗効果が生まれ、原画も浅丘ルリ子もさらに輝きを増した、そういうことなのだろう。

 中原をよく知らない人間としては、なんとなく感じていたことが、「逆も真なり」で納得できたのは大きな収穫だった。

「男はつらいよ」では寅さんと相思相愛の「リリー」役を演じた、貫禄さえ感じさせる大女優の原点がここにあったのか。

私は、石原裕次郎や小林旭、赤木圭一郎らの映画を見るようになって、共演女優の浅丘ルリ子を知った。

子どものころの体験は、5歳違うとまったく異なるものになる。性別も関係しているだろう。男の子にとっては、「ジュニアそれいゆ」から5年遅れて創刊された「週刊少年サンデー」と「週刊少年マガジン」が、自分の小遣いで買える最初の雑誌だった。

ちょっと年を重ねて10代後半になったとき、「平凡パンチ」が創刊された。それで、やっと若者文化の「今」に触れた。高専の男子寮で回し読みをした記憶がある。

  これは、蛇足だが――。中原は戦後の昭和22(1947)年、雑誌「ひまわり」を創刊する。文学館の敷地内にある畑でヒマワリを栽培したのは、そのため?=写真上2。いやいや、偶然そうなったのだとか。 

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