梅雨明けと同時に酷暑が続いている。ヤマユリ・青空・入道雲とくれば、子どもにとっては始まったばかりの夏休みの象徴だ。実際、小学校の高学年のころは、夏休みに入るとすぐヤマユリの薫る森でセミを捕り、入道雲がわく青空の下、町はずれの川へ出かけて水浴びをした。
しかし、もうそんな世界からは遠いところにきた。少年の記憶と老年の現実の落差は大きい。記憶に惑わされて、まだ若いつもりで体を動かすと熱中症になる。猛烈に暑い日は、家の中で扇風機を回して静かにしているのが一番だ。
それでも、家の中ではあれこれ動かないといけない。自分の担当する「家事」がある。できるなら朝の涼しいうちにすませたい。ちょうど年齢的にも「早寝早起き」になってきた。夜の9時には床に就き、朝の4時には起きる。ブログをアップすると、すぐ糠床をかき回し、台所の軒下のキュウリに水をやる。
きのう(7月20日)は回覧資料の配布日だった。日中はとてもじゃないが、出歩きたくない。で、朝の6時過ぎ、いつものように車で担当する隣組の班長さん宅を回った。ほとんどが中層住宅なので、1階の出入り口に郵便受けがある。そこに回覧資料を差し込むだけだから、朝日を浴びても汗をかくほどではない。新聞配達の次に早い「宅配」だっただろう。
日曜日は夏井川渓谷の隠居で土いじりをする。18日は後輩が庭の草刈りをしてくれた=写真上1。
庭は二段になっている。どちらも広い。小学校の分校の校庭くらいはある。酷暑の草刈りはこたえるだろう。心配していたら、私たちよりかなり早く、5時半には着いて作業を始めた。
上着も長袖だ。暑いのでは? 小型ファンで服の中に外気を取り入れ、風を流すことで汗を気化させ、涼しくする「空調服」だという。こちらは土いじりの時間を短くする、日陰を選ぶ、しょっちゅう水を飲む、といった原始的な方法だが、プロ級ともなれば暑さ対策が違う。
こういう酷暑が続くと、必ず思い出す詩句がある。拙ブログで何回も取り上げてきた。山村暮鳥の長編詩「荘厳なる苦悩者の頌栄」の冒頭に、ヨシノ・ヨシヤ(吉野義也=三野混沌)の詩句「天日燦(さん)として焼くがごとし、いでて働かざる可(べ)からず」が載る。
太陽の下、大地に二本の足で立ち、額に汗して働く。それはそれで崇高な姿ではある。しかし、家庭菜園を始めると、「いでて働くのは、天日燦として焼くがごとしの前でないといけない」ことがわかった。酷暑ともなれば、「天日燦として焼くがごとし、あとは家で寝ていよ」だ。
そうそう、こんなのもあったな。いわき市立草野心平記念文学館内ロビーのガラス壁面に記された心平の詩、「猛烈な天」。最初の4行がすごい。「血染めの天の。/はげしい放射にやられながら。/飛びあがるやうに自分はここまで歩いてきました。/帰るまへにもう一度この猛烈な天を見ておきます。」
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