2021年7月30日金曜日

「空の火事」と「やっちき」

                      
「1978年6月」とあるから、43年前のものだ。ある個人詩誌が出てきた。そのころはまだ詩らしいものを書いていた。2編を寄稿した。

「出てきた」というのは正確ではない。どこかにあるはず――探していて、やっとたどりついた。このごろ、宵の7時ごろの西空が劇的に赤く染まることが多い。カミサンが店を閉めるとき、「夕焼けがすごい、見て!」と叫ぶ。カメラを持ち出してパチリとやる。台風8号がいわきに接近した前日、2階から火事場のような西空を撮った=写真。

 冒頭の詩誌に夕焼けの詩が載る。同時に、そのころ初めて知った「やっちき踊り」についても、<あとがき>の形をとって触れている。「やっちき」をどうみていたのか、自分の文章ながら知りたくなったのだった。それを抜粋する。

 ――《やっちきどっこい》は春歌である。いわき地方の夏祭りには欠かせなかったという、この民謡の来歴を私は知らない。けれども、さるところで、一度、この唄を聞いてから、いっぺんに好きになってしまった。

「閼伽井(あかい)嶽から谷底見れば出船入船ドンと大漁船」という一節から始まる。踊りも単純かつ緩急自在。40代(注・今では80代)以上の人なら、きまってある種の郷愁にかられるように、楽しそうに回顧してくれる。ほかの人には聞こえないようなささやき声で。青森のねぶたにも負けないくらいの「ハネ踊り」だ、と教えてくれた人もいる。

その歌詞を全部ここで紹介するわけにはいかないが、たとえば「二階貸しましょお言葉ならば下も貸しましょドンと後家ならば」といった文句が次から次に出てくる。

「現代の良識」からすれば、たちまち反道徳、反教育、反……というレッテルを貼られることはまちがいのない「俗悪歌謡」だが、このところ、《やっちきどっこい》だけが楽しい。

ここではとりあえず、詩人・評論家松永伍一の言葉を添えておく。「エロスの唄に熱中する理由は、かれらが本来助平であったというだけではなく、社会制度の重圧から自由になろうとする解放への願望も内にあったと見ておく必要があります」――

話を「夕焼け」に戻す。子どもたちがまだ幼かったころ、家(平下平窪の市営住宅)からちょっと行くと、見渡すかぎりの水田だった。珍しく早く帰って田んぼの方まで散歩に出た。

その帰り、閼伽井嶽から水石山へと続く阿武隈の山並みの上に広がる夕焼けが見事だった。上の子が「父ちゃん、空が火事みたいだ」といったのに刺激されて詩を書いた。

「そうだ 火事みたいだ/燃えているのはしかし空ではない/燃えているのは失われるみえないものを失うまいとする/生木のような父の胸板」

詩も散文(新聞記事)も、ではなく、すでに気持ちは散文に傾いていた。新しい新聞文章をどう組み立てたらいいのか、迷いに迷っていたときだった。結局、迷いは超えるものではなくて深めるものだ――40年の経緯を振り返って、今、そう思う。

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