ときどきカミサンがダンシャリをする。「こんなのがあった」。私の興味がありそうな本を持って来る。古い手紙やはがきは、「捨てるのと残すのと分けて」。30年以上前に届いたものがほとんどだ。所属する団体の業務連絡のような手紙は処分し、儀礼を超える内容のはがきは手元に置くことにした=写真。
いわき民報の記者をしていたので、いわき関係の作家の本を紹介したり、文化欄でコラムを書いたりしたときに、本人から礼状が送られてくることがあった。今度出てきたはがきの一つが、いわき市三和町で農林業を営みながら作家活動を続けた故草野比佐男さん(1927~2005年)のものだった。
草野さんは短歌から始まり、詩・小説・評論を手がけた。高度経済成長とともに顕在化した農業・農村の衰退を憂い、国に怒り、憲法九条を守るためにひとりムラで異議申し立てを続けた。詩集『村の女は眠れない』はロングセラーになっている。
前にも草野さんの手紙が出てきた。それを拙ブログに書いた(2019年5月16日付「草野比佐男さんの手紙」)。要約を載せる。
――「前略、突然妙なものをお届けして申しわけありません。五册作って、一冊余ったので、さて、どう処分しようかと考えていたら、なぜかあなたの名前が思いうかびました。といっても、紹介とか書評とかを期待するわけではありませんので、責任を感じたりはしないでください」
妙なものとはワープロで打ち込んだ手製の『飛沙(ひさ)句集』『老年詩片』だった。後日、豆本になった『老年詩片』も恵贈にあずかった。消印は昭和61(1986)年3月8日だから、私が38歳、草野さんが59歳のときだ。
ワープロが出回り始めたばかりだった。いち早くそれに手を染めた進取の気性に驚いた記憶がある。
「ワープロで遊びながらの感想ですが、ワープロの出現は、表現の世界の革命といえるんじゃないかという気がします」「世の中が妙な具合になった時に、武器にもなるはずです」
その一例として、草野さんはフランスの詩人エリュアールやアラゴンのレジスタンス運動を上げた。ワープロの詩・句集を出したのは山太郎社。山太郎は「一山で最も大きい立木の呼称です。市内超最小の出版社だけれど、刊行物の内容は市内最高をめざすと、シャレたつもりです」――。
手製の詩句集を紙面で紹介し、併せて「ひとり出版社」「ひとり印刷所」が可能なワープロの意義について書いた。手紙とともに掲載紙を送ると、すぐ礼状が届いた。それが今度出てきたはがきだった。記事は大いにわが意を得ました、『老年詩片』は秋田で豆本にする人間がいるので、できたらお目にかけます、といったことが書かれていた。
最後に「小生の方が忙しくなくなったら一度遊びにいらっしゃい」とあって、驚いた。孤立無援を覚悟して生きる狷介(けんかい)な印象の作家だったが、「遊びにいらっしゃい」には親戚のオジサンのような温かさがある。その落差に、35年たった今、あらためて感じ入っている。
草野さんは命日が9月22日。私の母親も同じ年の同じ日に亡くなった。母親を思い出すと、決まって草野さんが思い浮かぶ。そして、この歌もまた。「かつかつに農を支へて老いにけりいかに死ぬとも憤死と思へ」
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