2021年7月23日金曜日

月光仮面を知る世代

                     
 いわき地域学會の第362回市民講座が7月17日、いわき市文化センター中会議室で開かれた。「いわきの地域新聞に連載された『月光仮面』」と題して、私が話した。

「月光仮面」の作者は川内康範(1920~2008年)。日米開戦前の海軍兵時代、康範はいわきからの慰問袋を受け取る。病気になって除隊し、療養後に贈り主の家を訪ねる。これが最初のいわき訪問。戦後、再びいわきを訪れ、贈り主の姉と結婚し、息子が生まれる――

 以上は、毎日新聞記者隈元浩彦さんの受け売り。川内康範生誕100年の去年(2020年)、隈元さんは綿密な取材を重ね、同紙「ストーリー」欄に渾身のルポ記事を書いた。私も取材を受けて、いわきでの文学活動、「月光仮面」がいわきの地域新聞に連載されたことなどを話した。

「月光仮面」は康範の「第二の郷土」であるいわきの暮らしを土壌にして生まれた、別れた幼い息子への「愛と正義」のメッセージだった――そういう視点で話した。

「月光仮面」がテレビで放送された時代は高度経済成長期。その6年後、東京オリンピックが開かれる。それから57年、2回目の東京オリンピックがきょう(7月23日)、開会式を迎えた。(なんだかドタバタが続いてるが、大丈夫か)

 人生の朝と日暮れの2回、東京オリンピックを見られる「幸運」よりも、震災や原発事故、コロナなどを心配することなくラジオ・テレビの前に群がった少年時代が懐かしく思い出される。

 昭和32(1954)年。毎晩、NHKのラジオから♪ちょっと失礼おたずねします……のテーマソングが流れた。ドラマ「一丁目一番地」を、ラジオにかじりつくようにして聴いた。それからしばらくして、近所のラジオ屋に備えられたPR用のテレビで「月光仮面」を見た。こちらの主題歌、どこの誰かは知らないけれど……も覚えている。

 受講者はおよそ20人。ほぼ同世代だ。「一丁目一番地」も、「月光仮面」も歌える。「歌いましょうか」というところまでいったが、さすがにそれはよした。

 肝心の新聞連載の話はというと――。「夕刊ふくしま」の昭和34年6月6日付に絵物語「月光仮面」の社告が載る。第1回は同年6月11日で、翌35年2月5日まで、2回にわたって計182回掲載された。マンモス・コングが出てくる。国際暗殺団が登場する。

 横題字の下に「三和新報 改題」と入ったものがある。元福島民報社の遠藤節(俳優中村敦夫の父親)が独立して発行した地域紙の一つだ。康範は、遠藤と「刎頸(ふんけい)の仲」だった。

「社告」に掲載された「作者の言葉」――。「私は(略)平市や湯本町に住んでいたことがあり、海岸通りの各土地にはたくさんの知人がおります。だから、『夕刊ふくしま』に私の作品を発表することは、第二の郷土である福島とのつながりをさらに深めることになると信じてます」

 いわき地方にテレビが普及するころの様子も、いわき民報の紙面(昭和33年2月26日付)=写真=を通じて解説した。テレビの広告が載る。テレビ欄(NHKのみ)がある。そのころ、東京では「月光仮面」が始まり、やがて映画化される。

いわきでは昭和34年4月、「月光仮面怪獣コング」が東映で上映される。その2カ月後、「夕刊ふくしま」でマンモス・コングが登場する月光仮面の連載が始まったのだった。

0 件のコメント: