このごろは眠りに就くのが早い。10月7日夜10時41分ごろ、かすかな揺れが長く続いた。瞬時で揺れが止まるならそのまま眠りに戻るのだが、遠くから伝わってくるような長い揺れに、東日本大震災を思い出して目が覚めた。カミサンも同じだったらしい。「いやな感じの揺れだな、大きな地震が来ないといいけど」
朝起きてテレビをつけたら、字幕に「東京・埼玉で震度5強」とあった。大きな地震が起きたのは首都圏だった。震源は千葉県北西部。一種の直下型地震だ。
NHKも、民放の在京キー局も地震一色だった。それはそうだろう、民放はキー局といっても基本は東京ローカル、足元が大きく揺れたのだから。
東京では3・11(東日本大震災)以来の5強だという。いわきではあのとき6弱だった。家の本棚が倒れたり、本がなだれを打って落下したりした。食器棚も扉が開いて皿が飛び出した。
一時、原発避難をし、春分の日を過ぎて帰宅した。墓参りはほぼ1カ月後、4月後半にずれ込んだ。墓地へ行くと、あらかた墓石が倒れていた。無縁化した墓は10年半が立った今も倒れたままだ。
その後も5強、5弱を何度か経験している。最近では8カ月前の2月13日夜11時7分ごろ、福島県沖でマグニチュード7.3の大きな地震が起きた。震度5強だった。3・11の余震だという。
10年たっても余震? そういう疑問が相次いだのだろう。気象庁は4月1日、今後、東北の太平洋沖で発生する地震について、「東北地方太平洋沖地震の余震と考えられる」という表現は使わない――と発表した。
余震からは解放されたが、首都圏では10年ぶりの5強でライフラインが影響を受けた。
千葉県北西部と東京23区では、長周期地震動の階級2を観測した。階級2の「室内の状況」は、棚にある食器類、書棚の本が落ちることがある、というものだ。高層ビルでは6弱のような状況になったところもあるのだろう。小さい揺れが長く続いたのはそれが原因か。
わが家では、階段に平積みにしておいた本が崩れるかどうかが“基準”になる。2月の震度5強では、下までなだれを打って崩れた。2階でもやはり平積みにしていた本や資料が崩れ、棚の段ボール箱が落下した=写真。
3・11を経験したことで、片付けにどのくらいの時間と労力がかかるかは、だいたい見当がつく。このときも、万一の断水に備えて風呂に水をため、プロパンガスが使えることを確認して、寝床に戻った。
首都圏は、人口が集中しすぎている。「規模の経済」が成り立っても、自然災害が発生すると、それが逆に作用する。いわきでもあのとき、高層階に住む人はエレベーターが使えず、階段を上り下りするのに苦労した。川からトイレの水を汲んだ家もあった。
コロナ禍以来、急速にテレワークが普及した。いっそ地に足をつけた暮らしができる地方へ移住してはいかが? テレビを見ながら、そう呼びかけたくなるのだった。
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