2022年8月16日火曜日

墓参り

        
 台風一過というより、台風が予想より南の関東で太平洋へ抜けたため、いわき地方は暴風雨の影響を受けずに済んだ。

 おかげで静かな一夜が明けると、次第に雲が消えて青空が広がり、午後にはうんざりするほどの暑さになった。

 それが月遅れ盆2日目の日曜日。朝、近所の新盆の知人宅を訪ねて焼香したあと、カミサンの実家の墓参りをした。

いわき駅裏の物見ケ岡から西の下好間へと丘陵が続く。その丘の西方に寺が密集する。いわゆる「寺町」だ。地名でいうと、平字古鍛治・大館~下好間字大舘。同じ「オオダテ」でも漢字が異なる。実家は平・久保町、寺は下好間・大舘にある。

いわき民報が平成7(1995)年に連載した「しんかわ流域誌」に、いわき地域学會の中山雅弘さんが「戦国大名岩城氏と城下町」と題して書いている。

「岩城氏が戦国大名になると、拠点を白土から大館に移します。現在、大館はいわき市平の大館と好間町の大館と二カ所が隣接していますが、岩城氏一族が主に住んでいたのは平の大館で、好間町・大館は詰め城(いざというときにたてこもる場所)です」

『歴史の道 岩城街道 本宮―平』(福島県教育委員会、昭和60年)によると、久保町は岩城氏の居城の城下町だった。近世の磐城平藩時代にも、長橋・鎌田とともに城下の出口で、「三方出口番所」のあった要地だという。

 今、平・大館には墓地が広がっている。山道でつながっている寺もある。が、カミサンの実家の寺は「大館」のそば、「大舘」の小丘にポツンとある。昔は峰続きだったのだろうか。

すでに実家の義弟が墓参をすませているので、私らの墓参りはおまけのようなものだ。花も線香もほんの少しだけにした。

山門前に車を止め、石段と斜面を上ると墓地に出る。年々、この石段の上りがきつくなっている。

息を切らせながら墓地に出ると、なにか風景が変わっている。遠望が利く。西~北を囲むように延びる林の西側が伐採されていた=写真。眼下に水田と好間の市街、小丘の奥に閼伽井嶽と水石山が連なっている。

たまたまやって来たカミサンの親戚の話だと、墓地の西側斜面が一部、崩落した。それで、防災工事が行われることになったのだろう。

それはともかく、崖のそばから見える好間の風景は、戦国時代に岩城の殿様や家臣が見たのと同じにちがいない。写真には写っていないが、やや左手には好間を代表するV字谷がくっきりと見える。このV字谷は当時も、特異な印象を与えていたことだろう。

振り返って墓地を見れば、中心部が少し空いている。前はそこにも墓があったはずだ。少子高齢化の時代、「墓じまい」をするケースが増えつつあるということか。墓地の風景も変わる――そんなことを感じさせる墓参りになった。

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