わが家の庭の柿の木は、今年(2022年)、生(な)り年だ。枝の先まで青い柿の実をびっしりつけている。
手入れも何もしないので、毎年、実がたくさん生るということはない。1年おきに実が「少し」「いっぱい」を繰り返している。
前に書いたが、今年は下生えのミョウガやホトトギスその他の草がびっしり生えている。樹下だけでなく、樹上もにぎやかだ。
その柿の木の枝が1本、折れて宙ぶらりんの状態になった=写真。正確にいうと「折れて」よりは「裂けて」に近い。朝起きて見ると、垂れさがっていた。枝先には青柿がびっしりついている。
これまで庭木が突然おかしくなることは、ないわけではなかった。何年か前、爆弾低気圧が通過したとき、わが家の南隣にある義弟の家の庭木が傾いた。根が浮いたので始末した。
庭のプラムの木も、二股に分かれている幹の一方がサルノコシカケ系のキノコに冒されたため、分かれ目から切断した。
柿の枝がなぜ裂けたのか。原因はわからない。大風が吹いたわけでもない。雷? もちろん、落ちなかった。
すると――。小さな行為が大きな現象を引き起こす、とでもいうか。「ブラジルの1匹の蝶の羽ばたきはテキサスで竜巻を引き起こすか」という気象学者の問いかけを思い出した。「バタフライ効果」とかなんとかいわれているのを若いときに読んだ記憶がある。
それに似た妄想。2年前、後輩が庭の木を剪定してくれた。さっぱりした。去年はそれで生長が抑制された。そして生り年になった今年。
前からあった細い枝にエネルギーが集中し、枝の耐性ぎりぎりまで実が生って重くなった。そこへ、地中に眠っていたセミの幼虫が次々に地上に現れて羽化し、アブラゼミかミンミンゼミの1匹がたまたまこの枝に止まった結果、耐性の限界を超えて枝に亀裂が入って折れた――。
むろん、これはバタフライ効果の借り物にすぎない。が、妄想は妄想なりに、いかにもそれらしく書いたら、ちょっとした物語になるかもしれない。ショートストーリーとか童話とかは、そんな発想から始まったりするのではないか。
垂れた枝の葉は、3週間がたった今もあおあおとしている。樹液の通り道は切断されていないようだ。
繁茂する下草に圧迫感を感じたのか、カミサンが先日、茶の間に近いところを刈り払った。勝手に生えてきたシソの葉が主だったが、今年の梅雨は雨がごく少なく、それで葉が硬いため、摘んで食べても歯ごたえがイマイチだった。
おかげで風通しと見通しがよくなった。垂れた枝を取り除くのは、葉が枯れてからでもいいだろう。
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