今はヤルタ・クリミア・ウクライナ、だろうか。クリミア半島のヤルタは黒海に臨む保養地として知られる。そこで1945年2月、「ヤルタ会談」が開かれた。
アメリカのルーズベルト大統領とイギリスのチャーチル首相、ソ連のスターリン首相が、第二次世界大戦の終戦処理問題を話し合った。
その結果、ナチス・ドイツの分割、連合国諸国の占領地区が決められ、ポーランド、ユーゴスラビア、東南ヨーロッパに新しい国境線が引かれた。
さらに、ソ連は対日宣戦布告をする代償として、満州の鉄道、樺太・千島列島を取り、極東アジアへの支配権を手に入れた。
評論家の『鶴見俊輔コレクション3・旅と移動』(河出文庫、2013年)=写真=の中に、「国家と私」というエッセーが収録されている。
冒頭の内容を含む「国家と私」を読んで、ソ連による南樺太占領、シベリア抑留がヤルタに発していることを再認識した。
「国家と私」はしかし、国家指導者の「病気」と「悪」が主題といってよい。まずは、病気。ルーズベルトは当時、「アルヴァス病」(この病名が判明するのは1970年)にかかっていた。
彼は脳の動脈硬化症が進行中だった。脳の小動脈瘤が繰り返し破裂していた。そのつど言語障害がおこったり、一時的に意識がもうろうとなったり、筆跡が変わったりした。
これに注目したのがスターリンだった。ルーズベルトとの首脳会談を延ばしに延ばし、とうとう自分たちの領地であるヤルタでの会談を決める。
チャーチルを含めた三巨頭会談では、ルーズベルトは会議の合間にしばしば居眠りをした。チャーチルが書類を回しても、読みもしなかった。結局、ルーズベルトは大事な結論をすべてスターリンに譲ってしまったという。
トップがそんな状態だったのに、国民と各国政府には、これらの決定は「きわめて熟慮された誤りないもの」だと伝えた。
「政府・官僚が一体となって、指導者の決めたのは無謬の政策であるというしきたりができている。それは社会主義国になろうが、資本主義国であろうが、どちらも変わりなく進めているという事実を、私は問題にしたい」
「国家と私」は1978年の講演を文字起こししたものと思われるが、40年余りたった今も、この見解は有効だと私には思われる。
それと、もう一つ。指導者の悪について。これこそが「国家」と「私」の違いでもある。「私には彼ら国家指導者ほどの悪をなしえない」。その最たるものが戦争だろう。
この違いはどこからくるのか。一つは「使えるカネの規模」、もう一つは「使える物理的暴力の規模」。今起きているロシアのウクライナ侵攻を考えればよくわかる。
そのために、「かれら国家指導者たちはラジオやテレビを最大限に利用して、ひたすら宣伝効果を高めようとする」。平時からメディアに干渉するのも、根は同じだ。「無謬」を盾に言論は統制される。その実例を私たちは目の当たりにしている。
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