2022年8月24日水曜日

昭和46年の準優勝

        
 このところ毎日、人の文章を読み続けている。夕方には目がかすみ、頭が重くなる。毎年、月遅れ盆が過ぎるころにはそうなる。400字詰め原稿用紙換算でどのくらいだろう。2000枚ははるかに超えるかもしれない。

 月曜日(8月22日)も朝から文字の海を漂っていた。午後には高校野球の決勝戦が行われる。ふと気づいて、文字読みを中断してテレビをつけた。

聖光学院(福島)を破って決勝に進んだ仙台育英が4-1と下関国際をリードしていた。そのあと、背番号14番が満塁ホームランを放ち、8-1となる。結局、そのまま下関国際を突き放し、東北勢としては初めての優勝を飾った。優勝が決まった瞬間、なぜか目頭が熱くなった。

 昭和46(1971)年、磐城高校が決勝まで進み、惜しくも準優勝に終わった。優勝旗は勿来の関を越えることはなかったが、平・本町通りのパレードを見て、熱狂の渦に巻き込まれた。

 いわき民報社に入社して4カ月ちょっと。まだ戦力にもならない新米記者だった。当然、高校野球の取材はノータッチ。オープンカーのパレードを一市民として見物するだけだった。

 ブログでときどき“古新聞シリーズ”をやってきた。前回からどうやら4年はたっている。久しぶりに古巣のいわき民報の記事を読み返してみた。新聞自体、大変な熱狂ぶりだったことがわかる。

 いわき民報は夕刊だから締め切りは午後2時前。ところが、8月16日午後の決勝戦は新聞発行を遅らせて結果を1面で報じた。

 急行列車で凱旋帰郷した同18日午後も同じく締め切りを遅らせて、勿来駅で下車し、そこからパレードに出発するまでを報じている=写真。

急きょ、いわき市主催で、平市民会館で歓迎会が開かれることになった。そのためのパレードが、勿来の関に近い勿来駅からスタートし、旧市内5市をめぐって歓迎式の会場まで続いた。私が平・本町通りで見たのはパレードのほんの一部にすぎなかった。

 8月17日のいわき民報は、パレードと歓迎会の中身を詳しく報じている。それによると、ハワイ遠征の監督・選手を除く12人が7台のオープンカーに分乗し、白バイとパトカーに先導されて、勿来~磐城~常磐~内郷~平の順にパレードした。

 高校のある平地区だけのパレードではなかった。丹念に旧5市を回っている。仮に優勝したとしても、それ以上の凱旋パレードはできなかっただろう。その意味では優勝並みの歓迎ぶりだった。コロナ禍下とはいえ、仙台市の熱狂は推して知るべし、か。

詩人の田村隆一は、「<昨日>の新聞はすこしも面白くないが/三十年前の新聞なら読物になる」と書いた。その通りだった。初の白河の関越えから、51年前の勿来の関越えの熱狂を思い出した。

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

昭和46年、甲子園で決勝戦をみました。準決勝を仲間とテレビを見ていていたら勝利。よし甲子園に行こうとなりました。2代の車で13時間。決勝は1失点で敗れましたが懐かしいですね。