スギ林から発する煙幕を見て以来、スギ花粉が頭から離れなくなった。実際、目や鼻のあたりがむずむずしている。
庭に止めてある車を見ると、そのすごさがわかる。屋根やフロントガラスがうっすら黄色くなっている。
このところ毎日、軍手で車のスギ花粉を払っている。去年(2022年)までは「黄砂かな」そう思わせる程度で、年に1回くらいしかしたことがなかった作業だ。
きのう(3月9日)、街へ出かけたら、湯ノ岳~水石山~二ツ箭山と西から北までの山々がかすんでいた。たぶん、「春霞」ならぬ「花粉霞」。人に会えばスギ花粉の話になるわけだ。
スギ花粉は目に見える。キノコの胞子は目に見えない。見えないキノコの胞子については、こんな想像をするようになった。
――キノコは子孫を残すために胞子を飛ばす。その胞子が目の前の空中に漂っている。キノコの胞子は空を行き交う旅人。南からの台風が、西からの季節風が、東風が、北風が、海を、森を越えて胞子を運ぶ。
きょうも目の前の空間に胞子が漂っている、そんなイメージを抱くのは、“キノコ病”にかかっているからだ。
実際、スエヒロタケの胞子は鼻や気管支、肺などに入り込んでたん・せきなどを引き起こす。呼吸器系の弱い人がやられやすいそうだ――。
拙ブログの文章だが、この「胞子」を「スギ花粉」に置き換えても通じそうだ。スエヒロタケの胞子と同じように、スギの花粉が浮遊・付着して、人によっては花粉症を引き起こす。
日曜日に夏井川渓谷の隠居へ出かけた。敷地のすぐ近くにスギの木が植わってある。雄花が今にもはじけそうだった=写真。
それを見た瞬間、昔の子どもは雄花を利用して遊んだことを思い出した。「スギ玉鉄砲」。すると、昔の子どもたちはこの雄花を忌避するどころか、取りに行っていたのだ。
スギ玉鉄砲をつくった覚えはない。遊んだ記憶もあいまいだが、3歳上の兄はスギ玉鉄砲をやったという。
篠竹(しのだけ)を切って筒と把手(とって)をつくる。把手に竹ひごをつける。杉の雄花をばらして筒の両先端に詰める。ひごで押し込むと、プチッと音を出して杉玉が飛んで行く。ばらばらになった花の粒は2ミリちょっと。竹筒も12センチくらい――。そんなことがネットに出ていた。
スギ花粉症は、そのころは無縁、というより、問題になってはいなかった。そもそも「スギ花粉症」という言葉を聞いたのはずっとあとになってからだ。
厚労省によれば、スギ花粉症が初めて報告されたのは昭和39(1964)年、私が16歳のときだ。
戦後、復興のために大規模なスギ造林が行われた。しかし、輸入木材に押されて山の管理が行き届かなくなる。食生活の変化もあって、アレルギー体質の日本人が増えた――そんなこととスギ花粉症の増加は関係があるらしい。
きのうは午後、まつげのあたりに違和感があるので、一度顔を洗った。そんなことでもしないと、気持ちが落ち着かない。雨が降れば少しは「花粉霞」が収まるか。
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