夏井川渓谷にある隠居は、故義父が平の街の中にあったものを譲り受けて解体・移築した。阪神・淡路大震災と地下鉄サリン事件が起きた年の5月末、私ら夫婦が管理を引き受けた。
私が土曜日に先行して泊まり、カミサンが翌朝、JR磐越東線の一番列車でやって来る。最寄りの江田駅まで迎えに行った(今は日曜日だけの日帰りに変わった)。
そうして隠居に通い始めるとすぐ、地元の駐在さんから自宅に身元を確かめる電話がかかってきた。警察がオウム真理教の信者の動静に神経をとがらせていたときだったから、対応は早かった。
それから何年かたって、雨戸=写真=をすべて新しいものに替えた。わが家の近くの建具屋さんに発注した。
まだ義父母が健在のころ、いきなり隠居の電気料金がはねあがったことがある。「どうしたんだろう」といぶかっていたら、夜な夜なホームレスが入り込み、寝泊まりしていたのだった。
3年近く前には空き巣に入られた。雨戸をはずしてガラス戸を割って侵入し、同じところから出てまた雨戸を閉めたので、空き巣と気づくまで少し時間がかかった。盗られたものはなかった。
古い雨戸がどんなものだったかは、今は思い出せない。が、ホームレスはどこかの雨戸をはずし、たまたまカギがかかっていなかったガラス戸を開けて入り込んでいたのだろう。
古い雨戸もたぶん同じだったと思うが、最後の雨戸には木製の板を鴨居の穴に差し込む「上げ猿」が付いている。ついでながら、敷居に差し込むのは「下げ猿」とか「落とし猿」とかいうそうだ。
その雨戸のベニヤ板が太陽光や雨や湿気の影響を受けて劣化し、ささくれ(トゲ)が目立つようになった。戸車も外れたり、ゆるんだりしているので、開け閉めにはコツがいる。
それだけではない。素手でやると何回かに1回はトゲが刺さる。で、今は雨戸専用の手袋を置いて、それをはめて開け閉めをする。
ところが、油断があった。隠居ではトゲに注意していても、自宅では無防備だった。靴を履こうと上がりかまちに座ったとき、たまたま左の手のひらが障子の敷居に触れた。すると、急に痛みが走った。黒っぽいトゲが手のひらからのぞいていた。それを爪で引っこ抜き、絆創膏を張ると、痛みがやわらいだ。
刺さったトゲを抜けば、たいてい痛みは消える。それが翌日になってもかすかに残っている。トゲは取れたはず、手のひらの上からはそれらしいものは見えない。
でもやはり、絆創膏を押すと痛みを感じる。2日たっても、3日過ぎてもかすかな痛みがある。
皮膚の下にまだトゲが残っているのではないか。カミサンから待ち針を借りて手のひらをちょんちょん差しながら探ると、皮の下から3ミリほどの黒っぽいトゲが出てきた。このトゲが痛みの原因だった。
トゲは抜かなければいつまでも痛みが続く。世の中には何十年たっても抜けないトゲがある。例えば、廃炉作業。そんな思いがよぎった。
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