2023年3月22日水曜日

墓参りの功徳

                      
 タイミングがいいのか悪いのか。今年(2023年)は春の彼岸の入りが土曜日の3月18日だった。

 この日、たまたま夏井川渓谷の集落で寄り合いがあったため、雨の中を出かけた。2日続けて隠居へ行くのはちょっと、というわけで、日曜日はアッシー君になってカミサンの実家へ出かけ、あとで墓参りをした。

 カミサンの実家は平・久保町にある。戦国時代、高台の平・大舘には大名の岩城氏が住んでいた。北麓にある久保町は城下町だった。その一角で義弟が米屋を営んでいる。

 顔を合わせると、私がいわき民報に連載(ブログをそのまま転載)している「夕刊発磐城蘭土紀行」の話になった。

カミサンの実家で使っていたムシカマド(蒸しかまど)が渓谷の隠居にある。早稲田の院生がこれを調査に来た。彼が調べてわかったことをブログで紹介した。

 ムシカマドに特許番号が刻印されている。特許情報から、実家で使っていたムシカマドは「赤松式改良ムシカマド」、考案者は「福島県磐城郡」(正確には「石城郡」)の「赤松源二」だった。

最後に、「この人物を知る手がかりは今のところない」と書き添えたら、久保町に住む人が実家の義弟に「あそこにあったのではないか」と情報を寄せた。

久保町周辺は「寺町」だ。平の大舘と好間の大館が隣接し、好間・大館の方に寺が集中している。

その一つ、某寺の前に民家があって、空き地(工場跡)が今はアパートになっている。そこだろう、という。カミサンの実家から歩いて10分ほどのところだ。とにかく近い。

カミサンも、そこで瓦をつくっていたような記憶があるという。これは朗報だ。いずれ院生に連絡することにしよう。

そのあと、カミサンの実家の菩提寺を訪ね、墓参りをした。やはり、某寺とは同じ道沿い、同じ好間の大館にある。

石段の山門をくぐると、また石段が続く。そばには坂道がのびる。先行するおばさんがいた。杖を持っている。付き添いの若い女性とともに、石段を上っていく。

私はカミサンの後に従って、坂道をジグザグに上る。息を切らせながら本堂の前に着くと、左手の林から「ホーホケキョ」の声が届いた。今年初めて聞くウグイスのさえずりだ。ああ、来てよかった――そう思った。

それからほどなく墓に着く。カミサンが墓の掃除をしている間、北西に広がる阿武隈の山並みを、オノで断ち切られたような好間のV字谷を眺めていると、視界の隅にカラス大の鳥が現れた。

とっさにカメラを向ける。腹面が白っぽい=写真。オオタカではないか、そう思ったが、むろん断定はできない。タカはゆっくり旋回しながら、やがて高みへと溶けるように姿を消した。

赤松式改良ムシカマド、ウグイス初鳴、タカの旋回。墓参りの功徳というか、ラッキーな出来事が続いて足取りが軽くなった。

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