先行例としては、朝日新聞に連載された詩人大岡信さん(故人)の「折々のうた」、日本農業新聞に連載された作家草野比佐男さん(故人=いわき市三和町)の「くらしの花實」がある。
いわき市泉に住む中山雅弘さんが今年(2023年)1月まで4年半、「折々のうた」や「くらしの花實」と同じ形式でいわき民報に「いわき諷詠」を連載した。先行2例は毎日だが、「諷詠」は週1回だ。
その「諷詠」が新書サイズの本になった=写真。『いわき諷詠――今届けたいふるさとの詩歌』(歴史春秋社、2023年)で、先日、恵贈にあずかった。
著者によると、いわきの風土や歴史・人物を豊かに詠(うた)った詩歌を紹介するもので、いわき出身・いわきゆかりの作家のほか、いわきを詠んだ作品も取り上げた。
その数は江戸時代から現代までの118作品で、ジャンルとしては江戸俳諧・近代俳句・川柳・短歌・現代詩・歌詞と多岐にわたる。それをジャンルごとに名字の「あいうえお順」で紹介している。
中山さんはいわき市教育文化事業団に勤務し、遺跡の発掘調査などに携わった。いわき地域学會の仲間でもある。考古と歴史が専門分野だが、根底には文学が息づいている。20代で詩を、50代で俳句を始めたと、著者略歴にある。
その根っこの部分で「いわき諷詠」が始まり、生業(なりわい)を通して得た具体的な知見も踏まえて作品の解釈と解説を試みた。
たとえば、内藤風虎「突くや鯨親子の別れ中之作」については、こんな解説がつく。「いわきの捕鯨は磐城平藩内藤氏時代の慶安4年(1651)に紀州から伝えられ元禄年間(1688~1704)まで大規模に行われていた。この時代の捕鯨の様子を描いた絵巻がいわき市指定文化財(「紙本着色磐城七浜捕鯨絵巻」)となっている」
風虎は「磐城平藩主内藤義泰の俳号。風山・風鈴軒とも称した」。その息子が内藤露沾で、松尾芭蕉と交流があった。
震災詠も20篇近く取り上げた。忘れられないのはカミサンの高校時代の同級生、吉野紀子さんの短歌だ。「ペットボトルの残り少なき水をもて位牌洗ひぬ瓦礫の中に」
その解説から当時の惨状がよみがえる。「東日本大震災を経験した私たちの心に沁みる歌だ。津波で壊滅した海辺の街。一か月にわたる断水。放射性物質の降る中での給水。ガソリンの枯渇。(略)当時、紀子は小名浜に在住。掲歌はその年の第二十八回朝日新聞歌壇賞に選ばれている」
高木俊明「月明(げつめい)や土台ばかりの四百戸」や、駒木根淳子「海見えぬ堤防聳(そび)ゆ冬かもめ」も、一読、津波被災地の「その後」を伝える。
「じゃんがら衆海に真向かひ鉦(かね)鳴らす」は、須賀川市在住の俳人永瀬十悟の作。高専の後輩で、震災前、須賀川の市原多代女と交流のあった一具庵一具(平・専称寺で修業した幕末の俳僧)について、わが家で話したことがある。
そのほか、生前に交流のあった俳人、今も交流を続けている先輩・知人らの作品も収録されている。折に触れて手に取るには格好の書といえよう。
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