2023年3月7日火曜日

100年の災害史

                                 
 図書館の新着図書コーナーに、関東大震災100周年を記念する本があった。北原糸子『震災復興はどう引き継がれたか――関東大震災・昭和三陸津波・東日本大震災』(藤原書店、2023年)=写真=で、500ページを超える大著だ。

 著者は災害研究の第一人者で、東日本大震災が起きた年に『関東大震災の社会史』を刊行している。この本は犠牲者や罹災者、避難民といった人間に焦点を当てたものだという。

 新著はⅢ部からなる。第Ⅱ部は「関東大震災の社会史」の再版だという。それを軸に、第Ⅰ部では関東大震災~昭和三陸津波~東日本大震災の流れのなかで、「『近代復興』の起点・継承・その終焉」を論じ、第Ⅲ部で関東大震災の資料を紹介している。

 実は2月27日付の拙ブログ「昭和三陸津波から90年」で、タイトルを伏せたままこの本に触れ、さらにいわきの視点で関東大震災を、そしてその10年後に発生した昭和三陸津波を取り上げた。

そのあと、あれこれ資料を読み返したり、ネットで関連する論考を拾ったりしてわかったことがある。

 北原さんの大著は「『近代復興』の系譜を、起点としての関東大震災、それを引き継ぐ昭和三陸津波、そして東日本大震災へとたどる『震災と人間』研究の決定版」(同書店)だが、そのなかからブログにも書いた個人的に関心のあるものをピックアップしてみる。

山口弥一郎について。地理の教師として磐城高女に赴任し、昭和10(1935)年9月、柳田國男門下の高木誠一(北神谷)、同僚の岩崎敏夫らと「磐城民俗研究会」を創設する。
 山口はその年の師走、昭和8(1933)年3月3日に発生した「昭和三陸津波」による村の荒廃、移動調査を始めた。数次にわたる現地調査のあと、戦時下の昭和18(1943)年、『津波と村』を出版する。

北原さんは大著の中で、この本について触れている。「東日本大震災発生の3カ月後に民俗学者によって復刊され、多くの人たちが今回の災害を理解する上で絶好の書として手に取った」

 関東大震災後に講談社が発行した雑誌『大正大震災大火災』については、「見聞記についての大半の記事には署名はない。(略)逸話の紹介記事にも署名はない。つまり、責任の所在がはっきりしない」。結局、惨状を売り物にして大当たりしたと、厳しい評価をしている。

同震災では大正12年11月15日午前零時を期して避難民の全国一斉調査が行われた。狙いは「震災地からの人口流出を把握しきれないことに危機感を抱いた臨時震災救護事務局」が「震災地復興計画を見据えて、流出人口と復帰人口を把握」することにあった。

その結果、石城郡への震災避難者は1759人だったことが判明する(大正12年12月11日付常磐毎日新聞)。あらためて新聞記事の裏にあるものが見えてきた。

被災者を対象にした北海道への移民制度も取り上げている。詩人猪狩満直がいわきから家族を連れて渡道した時期と重なる。このへんも再検討が必要だろう。

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